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第35話 青い指輪の女を追え

last update publish date: 2026-09-11 21:32:49

青い硝子石の欠片は、思っていたよりも軽かった。

 小さな証拠袋の中で、朝の光を受けて鈍く光っている。

 本物の宝石ではない。

 青玉でも、瑠璃でもない。

 市場の露店でも買えるような安価な装飾石。

 けれど、それは今、王宮北翼の監査机の上で、どんな宝石よりも重い意味を持っていた。

 ネル・ファランが王宮洗濯室の排水口から見つけた欠片。

 ベアタが見たという、青い石の指輪をした女。

 王宮洗濯室裏口へ現れ、女官服の型紙の件を口止めした女。

 そして、保護証言室について「最初に行った子を潰せば終わり」と言った声。

 リゼット・グラン。

 元夫人会の針仕事係。

 サルヴィ商会摘発後も、薬草納入補助人の名で王宮の通用門を出入りしていた女。

 彼女を追えば、王宮内に残るオルガ・ベルナールの手が見える。

 エレノアは
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    薄桃色のドレスは、思っていたより綺麗なままだった。 衣装箱から出されたそれを見た瞬間、リリアナは少しだけ息を止めた。 春茶会のために仕立てられた、あのドレス。 柔らかな桃色の布。 袖口に並ぶ白い花の刺繍。 裾に控えめに入った淡い銀糸。 当時のリリアナには、世界でいちばん自分に似合う服のように思えた。 いや、正直に言えば、今見ても似合うと思う。 そのことが、少し苦しかった。 嫌いになれたなら楽だった。 このドレスは過剰装飾です。 教育費名目では不適切です。 刺繍追加は赤分類です。 だから、もう見たくありません。 そう言い切れたなら、どれほど簡単だっただろう。 けれど、衣装係のエリスがそっと広げたドレスは、やはり美しかった。 リリアナの肌色に合う柔らかな桃色。 動くたびに春の光を拾う袖口。 母が「まあ、可愛い」と笑った日の記憶。 全部、まだそこにある。 北翼の小衣装室には、エレノア、リリアナ、マルタ、衣装係のエリス、そして記録係として若い女官が一人いた。 本来なら、公爵令嬢のドレス直しに記録係などいない。 だが今回は違う。 春挨拶会で着用する衣装は、王家監督下の支出再整理の一部でもある。 新調しない。 刺繍を足さない。 既存品を補修して使う。 その補修費を記録する。 新たな装飾費を発生させない。 言葉にすると簡単だ。 しかし、目の前にドレスが置かれると、簡単ではなかった。 リリアナは、袖口の刺繍に指先を触れた。「これ、やっぱり綺麗ですね」 声に、少しだけ罪悪感が混ざった。 エレノアは隣で静かに言った。

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    招待状を出してから三日目の朝、ヴァレンシュタイン公爵家には返事が届き始めた。 早いものは、丁寧だった。 紙も上等で、字も美しい。 ――このたびは春のご挨拶会へのご案内、誠にありがとうございます。謹んで出席いたします。 それだけの、礼儀正しい返事。 だが、すべてがそうではなかった。 北翼の小会議室には、返書が種類ごとに分けられていた。 出席。 欠席。 確認事項あり。 贈答品辞退への問い合わせ。 返礼不要の確認。 そして、ヘルマン監督官が淡々と作った最後の箱。 ――含意あり。 リリアナは、その札を見て首を傾げた。「含意あり?」 エレノアは返書を一通手に取りながら答えた。「そのまま読めば丁寧だけれど、別の意味が含まれている返事よ」「嫌味ってこと?」「大まかには」「含意あり、上品すぎる言い方ですね」 リリアナが思わず言うと、ミリアム夫人が扇を閉じて笑った。「社交界では、嫌味にも上等な紙を使いますのよ」「嫌です……」「慣れすぎても困りますけれど、読めないと刺されますわ」 リリアナは少し身を縮めた。 今日は、返書整理のためにミリアム夫人とデリア夫人も同席している。 春挨拶会は公爵家の行事だが、社交界の反応を読むには、夫人会改革組の目が役に立つ。 ヘルマン監督官は数字と手続きには強いが、貴婦人たちの柔らかな毒には、別種の解釈が必要だった。 デリア夫人が一通の返書を開いた。「こちら、ランズベリー伯爵夫人からです」 彼女は静かに読み上げる。「――このたびは

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  • 妹に婚約者も家名も奪われましたが、王妃の遺言状は私を後継者に指名していました〜三日後、王宮は相続争いで崩壊します〜   第71話 母セレスティア、初めて帳簿を見る

    セレスティア・ヴァレンシュタインは、帳簿が嫌いだった。 嫌い、という言葉すら少し違うかもしれない。 怖かったのだ。 数字は、言い訳を聞いてくれない。 この支出は娘のためだった。 この髪飾りは誕生日の贈り物だった。 このドレスは王太子妃候補として必要だった。 この茶会は公爵家の体面のためだった。 この謝礼は夫人会との関係を保つためだった。 そうした言葉を、数字はひとまず横へ置く。 金貨何枚。 銀貨何枚。 支払い元。 承認者。 名目。 不足した費目。 延期された修繕。 そこに、涙は書かれない。 母の愛情も、娘の笑顔も、社交界の視線も、王太子妃候補としての焦りも、帳簿の数字には直接は載らない。 だから、セレスティアは帳簿を見ないできた。 見なかったのではない。 自分では、そう思っていた。 家政は家令が整えるもの。 当主が最終承認するもの。 公爵夫人は、家の顔と娘の装いを整えるもの。 細かな数字は専門の者が見るもの。 そう言い聞かせていた。 けれど王家監督下に置かれた今、その言い訳はもう通じなかった。 監督官ヘルマンは、王都屋敷の南側応接室を臨時の確認室に変えていた。 かつては夫人たちを招いて茶を飲んだ部屋だ。 薄い香りの茶、季節の菓子、花瓶、柔らかな会話。 今、机の上にあるのは茶器ではなく、帳簿だった。 リリアナのドレス帳。 装飾品記録。 教育費名目支出表。 社交費再分類案。 使用人宿舎暖房修繕延期記録。 そして、リリアナ本人が付けた青、黄、赤、白

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